・野茂がメジャー引退を表明(トルネード投法)

 2008年7月17日、メジャーリーグの草分けでパイオニアで先駆者で開拓者の野茂英雄投手(39)が、自身のホームページで現役引退を発表しました。カンザスシティ・ロイヤルズから戦力外通告を受け、移籍先がみつからなかったらしい。まーね、最近の野茂はケガで試合に出れないことも多かったし、どうにもこうにも太り過ぎだったからなー・・・・・お腹がメタボすぎてもう・・・・・アメリカの食事はやっぱすげーなって思った(笑)。野茂の全盛期を知ってるだけに、ちょっと寂しい引退でした。
 とはいえ、当時の彼は凄い選手だったんですよ?なんせ1989年のドラフト華やかなりし頃、史上最多の8球団から1位指名を受け、近鉄バファローズに入団して、新人なのに4試合目でいきなり日本記録の17奪三振を達成。結果的にその年の新人王、最多勝、最高勝率、最優秀防御率最多奪三振沢村賞、MVPとタイトル独占ですよ、総ナメですよ。ちなみにこの年のドラフトは他にも、新庄剛志古田敦也前田智徳佐々木主浩佐々岡真司潮崎哲也小宮山悟、あと元木大介(苦笑)、とスター選手揃いなので、野茂がいかにがすごかったかがわかる。


 それから4年連続最多勝を獲得する驚異的な活躍をして、1995年、ついにメジャーへ挑戦ですよ。当時マスコミや解説者から「メジャーで成功するわけがない」と非難される中、ロサンゼルス・ドジャースマイナー契約しました。年俸はわずか980万円だったんだって。今の松坂大輔の年俸が約7億5000万円だから、当時、いかに日本のプロ野球選手がメジャーリーグから評価されていなかったかが、よく分かるエピソードだ。
 今では猫も杓子もメジャーに挑戦して、そんなの当たり前みたいになってるけど、なんなら有力選手のメジャー流出が問題になったりしてっけど、野茂がメジャーに挑戦する前は、日本人がメジャーで通用するはずがないとか、そんなのおこがましいとか、なんかそんな雰囲気だったからなー。自分ですら半信半疑だったからね。あの頃は大リーグに天と地ほど差がある気がして・・・・・。
 でもそこでも野茂は、初年度に13勝6敗、236奪三振の好成績を収め、新人王、奪三振王のタイトルを獲得。アメリカで「トルネード旋風」を巻き起こしました。そりゃあもう、凄かったんだから。当時の米国でのフィーバーぶりは。ノモマニアとか出現して。オールスターで先発出場したんだから。ストライキ騒動で人気の低迷していたメジャーリーグに、観客を呼び戻した救世主とか呼ばれてたかんね。きっとその通りだったんだと思う。


 野茂がメジャーのマウンドに立ったときは、ドキドキしながらテレビ見てたなー。すっごいわくわくしてた。パンチョ伊東と同じぐらい(笑)。懐かしいなー。あの時はメジャーの大きな選手から、野茂がフォークで三振とるたびに、手をたたいて大喜びしてたな。今となってはいい想い出だ。
 もしもあの時の野茂のメジャーでの活躍がなかったら、やはり日本の野球はダメだということで、少なくともあと10年は見下されていたと思う。そういう意味であの時の野茂は、望むと望まぬとにかかわらず、日本プロ野球を背負ってマウンドに立っていた。あるいは今まで野球を愛してきた日本人すべての夢を背負って。彼の活躍がなければ、イチローや松井のメジャーでの活躍も、きっとなかったんじゃないかな?
 そう考えると、日本人投手がメジャーでも通用することを知らしめた野茂は、日本のプロ野球にとってもすごい功労者なわけですよ。後の時代に与えた影響は計り知れないわけですよ。なんなら日本人にとっての功労者といっていい。国民栄誉賞あげたいくらい。
 だから自分は、野茂選手を心の底から賞賛したい。あなたが選手として残した功績は、球史に残らないものも含めて、とても偉大なものでした。今までお疲れ様でした。夢をありがとう!


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