・東日本大震災から1年が過ぎて・・・

 最近、春めいてきたね、うふふ、といった感じですが、去年の東日本大震災からすでに1年がたって、目に見える震災の傷跡もだいぶ消えて来てはいるけれど、被災地復興の足取りは相変わらず鈍いということらしい。被災された方々は、大変な思いをなさっているらしい。もちろんその復旧・復興に尽力して、そのことに真摯に取り組んでいる人々には深い敬意を表するけれど、自分の濁った頭の中では、あれからもう1年もたってしまったんだなあという、そんな曖昧模糊とした感慨しかない。


 たぶん自分は、命の危機みたいな、本当にあぶない目というものには、まだ一度も出会ったことがなくて、だからもし自分がそういう目にあったら何を考え、一体どういう行動をとるのかということが、まったくもって想像できない。最後まで悪あがきをするのか、もう駄目だとキッパリあきらめるのか、色んな感情が渦巻いてパニックになるのか、走馬灯のように今までの人生をふりかえるのか、或いはなにも出来ずただただ死ぬのか、それら全てかもしれないし、どれも違うのかもしれない。


 なので、震災や津波の映像を見て「こわいな」とはおもうけど、実際にわが身に置き換えてみることができない。いわばテレビの中の「衝撃の映像」といったような、現実と虚構のあいだにある壁のようなものが、自分の中には厳然と存在する。そして寝て起きて仕事をするといった日常に、いつのまにか塗りつぶされて、同じような毎日を送っているのに、気がつけば違うところにいる時間の不思議。どんどん変わっていく。どんどん遠くなっていく。大震災のあの日も今では懐かしい想い出。


 なので、東電の誤った対応も、政治の隠蔽体質も、マスコミの大本営発表しか書かないその態度も、酷かったといくらでも文句はいえるけれども、アレはアレで仕方がなかったんじゃないかと思う部分も多い。想定外な部分がありすぎたというのも、また確かので。だから次また同じことが起きた時は、この教訓がいかせればいいんじゃないかと。もう少しちゃんとした対応が出来ればいいんじゃないかと。もちろんそんなことを言ったからといって、犠牲者が戻ってくるわけではないのだけれど。


その他の記事
 ・なんとなくメルトダウンって言ってみたくなるよね(チャイナシンドローム)
 ・原子力発電の曲がり角(もうすぐゴジラが産まれちゃうかも・・)
 ・東日本大震災から早3カ月が過ぎて・・・